COLUMN弁護士コラム

2025.02.12

みんなに支えられて

昭和62年7月初め私は、司法修習生として未知の地である仙台に降り立ちました。
弁護修習は、青葉法律事務所でした。私は、青葉法律事務所の故松尾良風先生と浅沼忠夫先生にとても良くして頂きました。
平成元年4月に私は、弁護士登録をし、浅野公道綜合法律事務所で勤務弁護士をし、平成3年4月に長澤弘法律事務所を開設しました。
私は、報われない人に光をあてたいとの考えから、一般市民を対象とし、また民暴の弁護士として活動をしました。
私が当時扱った事件には次のようなものがあります。
 
①仙台で始めての本格的な外国人の刑事弁護と言われた中国人の刑事弁護
②ゼネコン汚職の際に検察官による2件の特別公務員暴行陵虐致傷事件の刑事告訴と国家賠償請求事件
③自首した七ヶ浜のひき逃げ事件に遺族の代理人として関与し、最終的に仙台高等裁判所で無罪となった事件
④13回にわたり全国証券問題研究会に参加して解決に当たったワラント訴訟事件
⑤捜査機関が事実を把握していないとの見立ての下に4年間無罪を争った混合軽油を密造・密売した地方税法違反事件、これには裁判所から懲戒請求を申立てられたというおまけもありました。
 
そうこうしているうちに気がつくと10年が経とうとしていました。
私は、見ず知らずの仙台で人並みに弁護としての活動ができたのは、依頼者を初めとする周りの人々に支えられてのことだと思います。
そこで私は、その頃ゴルフを始めたばかりでしたが、生意気にもお礼にゴルフコンペを行おうと思いました。
その時私は、スコアも120を切れていませんでしたから、今考えると無謀としか言いようがありません。
しかし、長澤杯ゴルフコンペは、20年以上も続いています。
これもみなさんに支えられてのことです。有難うございます。

CONTACTお問い合わせ

弁護士にご相談されるのが
初めての方もご安心下さい。
お困りの方はお気軽にご連絡ください。

ページTOP